2009年06月17日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 6933 count

昭和44年住宅地図は昭和44年リアルタイムではない? 七軒町派出所は既に無かった?

Written By: 川俣 晶連絡先

 昭和44年住宅地図で確認できた七軒町派出所の位置と名称・昭和44年でもまだ七軒町!!に関して、桜上水Confidentialさんよりメッセージを頂きました。

ラッキーの床屋さんは、私の行きつけでした。小林さんですね。

近藤書店、雪華堂 あと駄菓子屋さん

おばさんの熊谷美鶴さんの表札が正面真ん中にありました。

ただし、昭和41年には、既に交番は、今の位置にあったと記憶します。

オリンピックのころ、それまで陶芸などをやっていたお屋敷が、ボーリング場になりました、今のスタープラザです

 な。なんですと! 昭和41年にはこの位置には無い!!

 住宅地図は比較的高い頻度で発行されているので、それなりにリアルタイムの状況を反映しているはずだ……と想定していましたが、違うのでしょうか。地図に記述された内容と発行タイミングのタイムラグは常に悩ましい問題ですが、ここでもやはりそれでしょうか。

 ちなみに、スタープラザ相当の場所は「東京スポーツセンター」と書かれていて、おそらくこの地図上ではボウリング場です。(私もボウリング場があったことはよく覚えています。入ったことはありませんが)

※ というわけで、綺麗で新しい巨大娯楽施設がブームが去って寂れて滅んでいく状況を遠くから眺めていたことになるので、20世紀少年でボウリング復活を夢見る老人の気持ちは何となく分かったりします。

 仮にボーリング場が昭和39年で交番は41年には既に無いとすると、この地図はおおむね昭和40年前後の状況が描かれていると想定できます。

七軒町の地名考察は、江戸のはじめに、赤堤の領主だった服部半蔵が甲州街道沿いに、岩田さん、大庭さん、間蓑さんなど7軒の屋敷を置いた以来の由来と思うのですが、まだ確証に至りません。

前に自分のBLOGにも書いた(かな?まだ書きかけかもしれない)と思うのですが、旧住所では、松沢小学校の住所は松原ですけど、向かいの杉並区境との間の一皮並びの住所は赤堤でした。

 なるほど。不思議な境界になっていたわけですね。

確かに、大庭さんといい、岩田さんといい、赤堤によく見るお名前です。

下高井戸、七軒町の由来は、地域史を解き明かす鍵である可能性が高く、玉川上水も含めて川俣さんの意気の長いご研究に深い興味と共感を持つものであります。

 なるほど。文房具屋の大庭(おおば)は店の名前としては不可解でしたが、この「大庭さん」につながるわけですね。

余談 §

 ちなみに、この地図は駅前にマクドナルドではなく小川肉店があったりするのが懐かしいですね。しかし、1軒おいて隣の三笠屋は現役。弟の結婚式のための赤飯を作ってもらったばかりです。レコード屋のオスカーはまだ存在しないようで。しかし、子供の頃によく模型を買った明治屋は既にあります。

下高井戸周辺史雑記